読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

狸穴からの眺め

ついったで喋るにはちょっと重い話とか

宗教のつまみ食いはお行儀が悪いのかどうなのか

カトリック キリスト教

ミサが終わった後は、隣に座ってたおばちゃんと、ちょっと話をした。

自分は救いを求めて教会に来たわけではないこと。
信仰はさておき、好奇心とかそういうので来たのであって
キリスト教とかカトリックの教えにはピンと来ない部分がちょいちょいあるということ。
同じように、仏教とか神道とかについても心で理解できない部分があるということ。
これ1本!という信仰の道を選んでいるわけではないので、失礼があったらごめんねという話。

無神論者というわけではなく、何かよく分からんけど神様とかそういうのは居るのかもね、という上で
何かそういう存在を色んな呼び方したり、表現が違ったりするだけで、
全部一緒のものを差してんじゃないのかな〜とか個人的には思っているということ。

そういう話の流れで、何でかよく覚えていないんだけど、おばちゃんのお陰で神父さんとお話をする機会を得た。
神父さんって結構忙しいらしいんだけど、たまたまその日は予定が空いていたそうで1時間くらいお時間を頂けたので
おばちゃんは「これきっと神様のお導きよ〜^^」って言ってたんだけど、
まぁともかく、おばちゃんに話したようなことをもう1回神父さんにも話したわけである。

で。今思えば初対面でなんちゅー突っ込んだ話をしたんだと頭を抱えるレベルなんだけども、
キリスト教にも神道にも仏教にもイスラム教にも、自分にとっては心に沁み込んでいくところとそうでないところがあって
どれか1本選ぶなんてことは難しいんですけど、やっぱりどれか選ばんと駄目なんですかね?と質問してしまった。

キリストを知らなくても、神の御旨に沿って生きていれば救われると説いているのでは、
だったらエッセンスは同じ(と自分が思っている)別の宗教とキリスト教が信仰心の中に混在していては駄目なんですか?と。

その神父さんはカトリック以外、というかキリスト教以外の聖職者ともお話する機会がちょいちょいあるらしく、
そういう交流の中で「この教義はうちの宗教でいうところのこういうのと似ているなぁ」とか言われたことはある、
というところまでは聞くことができた。
だけど、いつか1つの道を選ぶことになるという前提で話をされるので、そんなつもりも気配も無い私の心は混乱してしまった。

今思えば、自分のやり方を認めて欲しかったんだろうなぁとか思ったりする。
自信がない人間だから、誰かの後ろ盾というか、承認が欲しかったのかな。
そう考えたら、承認欲求拗らせすぎー!!
ずっと聞きたかったこととはいえ、いじわるな質問をしてしまったなぁ。